大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和50年(オ)121号 判決

上告人

東良正博

右訴訟代理人

上羽光男

被上告人

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

田端恒久

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人上羽光男の上告理由について。

私文書の作成名義人の印影が当該名義人の印章によつて顕出されたものであるときは、反証のないかぎり、右印影は名義人の意思に基づいて顕出されたものと事実上推定されるところ(最高裁昭和三九年(オ)第七一号同年五月一二日第三小法廷判決・民集一八巻四号五九七頁ほか参照)、右にいう当該名義人の印章とは、印鑑登録をされている実印のみをさすものではないが、当該名義人の印章であることを要し、名義人が他の者と共有、共用している印章はこれに含まれないと解するのを相当とする。

これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実によれば、「本件各修正申告書の上告人名下の印影を顕出した印章は、上告人ら親子の家庭で用いられている通常のいわゆる三文判であり、上告人のものと限つたものでない」というのであるから、右印章を本件各申告書の名義人である上告人の印章ということはできないのであつて、その印影が上告人の意思に基づいて顕出されたものとたやすく推定することは許されないといわなければならない。

しかしながら、原審の適法に確定した事実によると、本件各申告書は、上告人よりその権限を与えられた上告人の母東良ミツが上告人のために作成したことが明らかであり、右各申告書を上告人の意思に基づく真正の文書と認めた原審の認定判断は、結局、正当として是認することができる。それゆえ、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(下田武三 藤林益三 岸盛一 岸上康夫 団藤重光)

上告代理人上羽光男の上告理由

原判決は法令の解釈適用を誤つた違法があつて、判決の結果に重大な影響を及ぼすから破棄されるべきである。

一、原判決及びこれが引用する第一審判決は、「本件各修正申告書である乙第一号証の一ないし三の各申告者らん名下の印影は原告の印顆により顕出されたものであることがみとめられるから反証のないかぎり右各号証は真正に成立したものと推認される」(第一審判決)そして「右捺印された印章は、控訴人ら親子の家庭で用いる通常のいわゆる三文判で特に控訴人のものと限つたものでないことが窺えるが、控訴人名義に使用する以上控訴人の印章と言うに妨げなく、他に登録せる実印がある故を以つて控訴人の印章といい得ないものでない。従つて本件修正申告書の成立の推定を妨げるものでなく」(原判決)と判示して上告の請求を棄却した。

二、民事訴訟法第三二六条は「私文書ハ本人又ハ其ノ代理人ノ署名又ハ捺印アルトキハ之ヲ真正ナルモノト推定ス」と規定する。原判決右条項の法理を根拠に本件文書の真正なる成立を推定したものと思われる。

ところで右法文の解釈につき判例は「民事訴訟法第三二六条に『本人又ハ其ノ代理人ノ署名又ハ捺印アルトキ』というのは、該署名または捺印が本人またはその代理人の意思に基づいて、真正に成立したときの謂であるが、文書中の印影が本人または代理人の印章によつて顕出された事実が確定された場合には、反証がないかぎり該印影は本人または代理人の意思に基づいて成立したものと推定するのが相当であり、右推定がなされる結果、当該文書は民訴第三二六条にいう『本人又ハ其ノ代理人ノ(中略)捺印アルトキ』の要件を充たし、その全体が真正に成立したものと推定されるのである」(民集第一八巻第四号五九七頁)と判示している。

つまり本条により文書の成立の真正が推定されるためには①該捺印が本人又は代理人の意思に基づいてなされたものであること②その印影が本人または代理人の印章によつて顕出されたものであることの二要件が必要であるが②の要件が確定されれば①の要件が推定され、その結果、民訴三二六条が適用され同条の推定が働くということになる。二重の推定でもつて文書の真正な成立を認定することになる。

かかる推定規定が設けられた理由は、わが国では自己の印章をみだりに他人に渡さないという慣習があり、しかしてその反面文書に自己の印章により顕出された印影は、作成者の意思にもとづいて顕出されると推定するのが経験則に合致するものであるというところにある。しかし乍ら右のように文書の真正な成立について二重の推定を働く場合は右立法趣旨に鑑みその前提事実は厳格でなければならない。単純な推定に比し、二重の推定を働く場合「擬制」になる恐れが多い。そうすると推定することが経験則に合致するからという論理に却つて反馳する。

三、本件において、原判決は本件印章は親子らが共同で使用しているから「控訴人名義で使用する以上控訴人の印章というに妨げない」と判示した。この解釈は、前提事実を余りにも広く解しすぎている。この見解からすれば民事訴訟法第三二六条を適用する場合の二つの要件を全く無視するにすぎない。同一印章を共同で使用している場合に一方がほしいままに他方の名義を冒用して印章を捺印して、文書を作成したときでも被冒用者名義の真正な文書の成位が推定されることになる。

かかる見地にたつて民事訴訟法第三二六条を解釈し、且つ本件に適用した原判決は明らかに法の解釈を誤つた違法であり、判決の結果に重大な影響を及ぼすこと明らかであるから破棄されるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例